石川県加賀市は有名な温泉場ということもあり、かつては芸妓文化も賑わっていました。
そんな芸妓さんの練習や発表の場として建てられた「芸妓検番・花館」が存続の危機です。
芸妓検番「花館」(げいぎけんばん「はなやかた」)
市民から通称:検番と呼ばれ親しまれる花館は大正9年に誕生し、
かつては加賀温泉郷を大いに盛り上げた芸妓の練習場および管理事務所として建設された。
外観は趣き深いベンガラ色に塗られており、
当時の芸妓たちが華やかに行き交っていた姿が目に浮かぶようだ。
現在は、源泉を使った「豆腐づくり体験」「晶子染め体験」が出来る一方で、
地域づくりの一環として、寄席やライブ会場としても使用されている。
2017年、そんな芸妓文化の象徴ともいえる検番に存続の危機が叫ばれた。
これまで地域の中心として市民に愛された花館の未来が不安視されている。
-ベンガラ色の風情ある外観
検番ライブ主催者・山下恵さん
大阪出身。結婚を機に石川県加賀市に移住し、
家業である「磁器工房白象」の手伝いをする傍ら、
音楽の流れる温泉街にと、仲間と共に「検番LIVE」を企画。
当時、企画を一緒にスタートさせた故・飛田一男(ひだかずお)氏の想いを
現在まで引き継ぎ、2001年にスタートした同企画は、現在13回目を迎える。
飛田一男(ひだかずお)氏…
石川県加賀市出身。1975年前後に活躍したバンド「めんたんぴん」のギター担当。飛田氏の母が芸妓をやっていた背景から、「芸妓検番・花館」の最盛期を知る人物でもある。飛田氏が40歳のとき、子供の頃の思い出が詰まった花館の寂れた姿を見て、「何かしたい」という思いで、地元の人たちと共に検番LIVEをスタートさせた。
Q1 検番LIVEの始まりを教えてください。
もともと知り合いだった飛田さんとの再会を果たし、
「一緒に検番LIVEをしよう!」と構想を練り始めたのは1991年の事でした。
そして検番LIVEが実際にスタートしたのは2001年の事ですから、
10年もの間、私たちは企画の実現に向けて地元を奔走したことになります。
仲間や賛同者を探し回って、、、あっという間の10年間でしたね。
流れが大きく変わったのは、2000年に検番の全面改装が決まったことです。
これが追い風となり、念願かなって企画をスタートさせることができました。
Q2 主催者であった飛田氏のお母さんは芸妓だったとか。
そうなんです。
かつて、検番は芸妓さん達の練習・発表の場として使われていましたから、
飛田さんにとってこの場所は、小さい頃からの思い出深い場所でした。
だからこそ、「この検番をどうにかしたい」という想いが強かったんだと思います。
構想に10年かかった検番LIVEですが、実は記念すべき第一回目が開催される直前に、
飛田さんのお母様は亡くなられているんです。
そんななかで、第一回目のLIVEでは、ステージの影にお母様の遺影を置かれていて、、、。
「少しは親孝行できたかな」と言って喜んでいた飛田さんの姿が凄く印象に残っています。
-芸妓の事務所としても使われていた館内は、今でも資料が多く残る。
Q3 検番LIVEは地域の人にとってどんな存在ですか?
始まったばかりの頃は、チケットの押し売りのような事もしていて(笑)、
地元の方も、「山下さん達が頑張ってるから行くか~」というような感じでした。
検番LIVEは今年13回目を迎えますが、音楽を好きな人はもちろん、
検番の雰囲気を味わいたい人や、町の人達が集う場として、
毎年120人ほどのお客様が来てくれています。
この1年に1回のLIVEを楽しみにしてくれている人が沢山いて、凄く嬉しいですね。
‐2013年の検番LIVE 検番を埋め尽くした。
Q4 2017年、そんな検番に存続危機のニュースが出ましたが、どう受け止められていますか?
検番LIVEもその一つですが、この場所は地域づくりの場としても使われていますし、
地元の小学生は、3年生の時に必ず授業の一環でこの場所を見学にきます。
今回の存続危機が新聞で報じられたとき、一番に反対の声をあげたのは小学生たちでした。
「検番は僕たちの宝」「検番を残したい」と書かれた彼らからの手紙を見て、
このニュースをきっかけに、大人たちもこの問題を自分事として捉え、
検番をどうしていきたいのか、一人一人が考える局面にきたのかな、と思っています。
-小学生から集まった存続を願う手紙たち
Q5 検番を後世に。想いを教えてください。
そもそも、存続危機の背景には「出資者の高齢化」という問題があります。
当時、この検番を建てた出資者の方々は、皆さんもう高齢ですし、
後を継いだ方達も、市外に引っ越し、連絡が取れない人も沢山いると聞いてます。
今でも「検番って中にはいれるの?」と仰る地元の方もいるほどなので、
まずは検番LIVEなどを通じ、限られた人が知る検番ではなく、みんなの検番になってほしいですね。
今は亡き飛田さんが、子供の頃の思い出を胸に「なにかしたい」という気持ちで
検番LIVEを企画したように、その意思をこれからも引き継いで、
もっと沢山の人にとって必要とされる検番になっていってほしいです。
-検番を愛す市民の方たち