地元だからこそ開けた職人の道。加賀の伝統工芸を受け継ぐ女性木地師の、いままでとこれから。

石川県加賀市の山中エリアは温泉だけではなく、山中漆器の産地としても知られています。

そのまちに生まれ育ち、木地師として活躍する山田マコさん。修行を始めた当初は、地元出身の木地師としては市内唯一の女性だったそうです。

地元の伝統工芸を継承するに至った経緯や、今のお仕事について伺ってきました。

木地師 山田マコさん

石川県加賀市出身。山中漆器の産地に生まれ育つ。高校を卒業後、高岡短期大学(2005年に旧富山大学と富山医科薬科大学と統合。2010年正式に廃止)に進学し、漆工芸を専攻。

卒業後は加賀市にUターンし、木地づくりの技術を学べる石川県挽物轆轤技術研修所に入所。研修所に通いながら工房での修行も経て独立。

現在は木地師として活動するかたわら、短大時代に習得した漆工芸の技術も生かし、作家として自身の作品も制作する。

山田マコさん

instagram:https://www.instagram.com/yamada__mako/

メール mako.y@shirt.ocn.ne.jp

― 漆器の産地に生まれ育ったということで、小さい頃から木地に馴染みはあったんですか?

子どもの頃は、加賀の山中地区は木地づくりが盛んだってことを知っているぐらいで、木地に触れる機会はほとんどなかったんですよね。当時は、学校の授業で工房を見学したり、木地を挽く体験をしたりとか、そういうのがまったくなくて。

でも、町に職人さんがたくさんいるのが当たり前の光景でした。なので、職人が特別な職業だって意識がなかったんですね。それが、今こうして木地師をやっていることに繋がっているかもしれません。

初めて漆器に触れたのは高校生の時で、その時に興味が湧いたのは漆だったんです。それで卒業後は、富山県にあった高岡短期大学の漆工芸を専攻しました。

ー 短大で専攻していたのは漆工芸。卒業後に木地師の道を選んだのはどうしてですか?

まず、山中漆器って分業で成り立っているんですね。土台となる木地、下地、塗り、などなど。1つの作品が出来上がるまでにそれぞれの職人さんが担当するんですけど、最初から最後までを一貫して作れるようになりたいって気持ちが出てきて。漆は短大でひと通り勉強したから、じゃあ木地も勉強しようって決めたんです。

だから、漆から木地に方向転換だ!木地師になるぞ!って気持ちは最初はなくて、漆の勉強の延長ぐらいに思っていました。そしたらもう木地の世界も深くて難しくて、1つ1つクリアするのに時間がかかってしまって、気付けば漆ではなく木地を続けていましたね。予定とはちょっと違うけど(笑)

ー 木地の勉強はどのようにスタートしましたか?

まず石川県挽物轆轤技術研修所で基礎から勉強しようと思って。この研修所って、2年間の基礎コースを終えたら専門コースがもう2年あるんですけど、私が短大を卒業した年の基礎コースへの応募が定員を超えていたんです。それで研修所の方が「山田さん漆勉強していたなら素人ではないから、専門コース入ってくれない?」って。短大では木地を挽いたことがなかったので、当然まったくの素人だったんですけどね。

どうしよう・・・って思っていたところ、生涯の師匠となる木地師さんに出会って、研修所の専門コースが始まるまでの間、木地を挽くための基礎を教えてくれたんです。それでなんとか専門コースでやっていけたんですよね。専門コースが始まってからも、授業は週2回なので、そのまま師匠の工房で修行も並行してやっていました。

ー 短大を卒業して加賀にUターンしてきたんですね。戻ってきた時の気持ちはどうでしたか?

加賀に戻るというより、木地を学べる研修所があるから加賀を選んだという感じです。もし短大卒業後にそのまま漆の道に進んでいたら戻ってきていないと思いますし。いざ帰ってきた時も、もうこのまま加賀に住み続けるんだ!って変に意気込んだ感じではなかったんですよね。

最近思うのは、普段気付かないだけで、‟私の知らない加賀”って実はたくさんあるな~ってことです。

― 独立までは何年間修行しましたか?

2年間研修所に通いながら工房でも修行をし、卒業後もそのまま同じ工房で3年間修業をしたので、計5年間を修行に費やしました。 当時はなんとなく‟5年で独立”という空気が流れていて。

最後のほうは個人の仕事もだんだん増えて、師匠のもとでの仕事との両立が難しくなって、独立しました。でも師匠には今でも色々教わっています。

― 今している仕事について詳しく教えてください!

受注したものをつくるのと、自分自身の作品をつくるのと、半々の時間をかけていますね。受注は木地だけですけど、自分の作品は土台づくりから塗りまで全部ひとりでやるので時間がかかっちゃって。なのでかけている時間は同じでも、できあがる数量は全然違います。

受注に関しては、問屋を通さずに直受注で、主に地元の作家さんから受けています。

自分の作品は、自分が使いたいなって思えるものだけをつくっていて、ほぼ展示会用です。今年の夏前に金沢で展示会を予定しているので、詳細が決まり次第、告知しますね。あとは東京や京都のお店にも数点だけ置いてもらっています。

そして今は、新しい工房もそろそろ構えたいな~と思っているところです。

ー 加賀に戻ってきて良かったことは何ですか?

人との出会いがあったことですね。お世話になった師匠や他の職人さんの存在がなかったら今の仕事はできていないので。地元にいながら会ったことがなかった人達にも、私が加賀に戻ってきて木地師の道に進んだことで、出会うことができました。こういう、地元での巡り合わせって大事だなといつも思っています。

山田マコさん

instagram:https://www.instagram.com/yamada__mako/

メール mako.y@shirt.ocn.ne.jp

ご案内
本記事は、加賀市の人口減少対策室と共同で取材・作成をした記事になります。加賀市は、南加賀唯一の消滅可能性都市に含まれており、少子化という喫緊の課題を抱えていることは否定できません。そんな中、マイナスを受け止め前向きに地域で活躍する人たちのパワフルさや、自らの力でマイナスをプラスに変えていくしなやかさを、加賀ぐらしを通じて色んな人に伝えたいと思い企画いたしました。この記事を通じて、加賀の1ピースが伝われば幸いです。

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TEXT BY

chinatsu

能登出身。大学進学を機に上京。東京での会社員、大阪と徳島での2拠点居住やリモートワークを経て、「いつかは石川に戻る」という計画通り、2019年春に加賀市へ移住。地域おこし協力隊として活動中。総湯に通う毎日。最近は畑を借り野菜づくりもスタート。